渡良瀬遊水地とは

栃木・群馬・埼玉・茨城の4県に
またがる
日本最大級の遊水池

渡良瀬遊水地

東京から約60キロメートルに位置する
豊かな生態系を育む広大な湿地帯

渡良瀬遊水地は、栃木県栃木市・小山市・野木町、茨城県古河市、群馬県板倉町、埼玉県加須市の4県の県境にまたがる日本最大級の遊水地(平地ダム)です。
総面積は3,300ha、総貯水容量2億m3、外周約30kmで堤防や台地により囲まれています。栃木県が面積の約9割である2,980haを占め、そのうちの71.2%を栃木市が占めています。【参考:各市町面積(栃木市71.2%、小山市7.9%、野木町11.2%、古河市3.0%、板倉町4.3%、加須市2.4%)】

渡良瀬遊水地の歴史

History of Watarase
谷中村

水害に見舞われていた谷中村

渡良瀬遊水地は、旧谷中村や周辺地域の人々の犠牲と協力のもとにつくられました。谷中村は、渡良瀬川、思川、巴波川に挟まれた沼地や湿地が広がる地域に位置し、周辺に比べて地盤の高さが低く水害を受けやすいため、村の周囲には囲堤が築かれていました。


足尾鉱毒問題

足尾鉱毒問題

常に洪水の被害に見舞われていた谷中村周辺地域では、明治20年代になって、渡良瀬川最上流部に位置する足尾銅山より流出する鉱毒が渡良瀬川沿岸に広がり、大きな問題となりました。この足尾鉱毒被害の防止対策の一つとして、河川の氾濫被害を無くすため、渡良瀬川下流部に遊水地を造る計画が打ち出されました。


谷中村の廃村と遊水地化計画

谷中村の廃村と遊水地化計画

遊水地化は谷中村を中心とした地域で計画され、明治38年(1905)から栃木県が買収を進めていきました。村人達は計画に反対していましたが、明治39年(1906)に谷中村は藤岡町(現・栃木市)に合併され廃村となりました。現在も旧谷中村(下宮、内野)の一部には旧村民の子孫の方が住んでいます。


渡良瀬遊水地の成立

渡良瀬遊水地の成立

谷中村以外にも明治38年から明治40年までの間に930町歩余りが買収されました。明治43年(1910)には、内務省による改修事業が始まり、昭和5年(1930)には渡良瀬遊水地が完成。その後、昭和10年、13年、22年と相次ぐ大洪水を契機に遊水地化事業、調節池化事業、貯水池化事業などが行われ、平成9年(1997)には現在の渡良瀬遊水地が完成。今では渡良瀬遊水地は周辺地域や利根川沿線を洪水から守る治水機能と、水道水等を供給する利水機能を有する施設となっています。

渡良瀬遊水地の今

Watarase now
ラムサール条約登録

ラムサール条約登録

渡良瀬遊水地は2012年(平成24年)7月3日にラムサール条約湿地に登録されました。(ラムサール条約とは「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」のこと)
多様な動植物が生息する渡良瀬遊水地の湿地の自然環境を保全・再生し、その適切な利用を促進していきます。


伝統のヨシ焼き

伝統のヨシ焼き

遊水地の大部分を占めているヨシ原のヨシ焼きは、毎年春に行われ、かなり大規模に実施されます。害虫を駆除して良質なヨシを育てるほか、野火による周辺家屋への類焼防止、また貴重な湿地環境の保全、樹林化の防止による治水容量の確保など、大変重要な役割を担っています。


様々なイベントを実施

様々なイベントを実施

広大な土地、空間を活用して、渡良瀬バルーンレース(熱気球レース)やサイクリング、マラソンやカヌー大会などのイベントが定着してきています。渡良瀬遊水地はスカイスポーツ、ウォータースポーツ、釣りなどが日常的に誰でも楽しめる全国的にも非常に珍しい空間です。また、遊水地の役割や貴重な自然の観察、史跡見学等ができることも特徴となっています。

渡良瀬遊水地の湿地環境は、
多様な生き物も育んでいます

渡良瀬遊水地では、野鳥約260種、植物約1,000種、昆虫約1,700種、魚類44種が確認されています。
現在関東地方でこれほど豊かな生物相を維持している地域は極めて限られており、
大変貴重な場所となっています。

チュウヒ

▲チュウヒ

オオヨシキリ

▲オオヨシキリ

チョウトンボ

▲チョウトンボ

ワタラセツリフネソウ

▲ワタラセツリフネソウ

栃木市ホームページ
栃木市渡良瀬遊水池
ブリッツェン

わたらせサイクルパーク

〒323-1104
栃木県栃木市藤岡町藤岡1218-1
TEL:080-2200-9760

 
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